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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)704号 判決 1960年11月21日

控訴人 浅野遙

被控訴人 岩崎芳夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

本件につき当裁判所が昭和三五年三月二八日なした強制執行停止決定はこれを取り消す。

前項に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の控訴人に対する東京地方裁判所昭和二二年(ワ)第八五三号家屋明渡請求事件の和解調書に基く賃貸借の期間満了を原因とする原判決添付目録記載の建物の明渡の強制執行は許さない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠の関係は、左に付加するほか原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴代理人は、「(一)本件賃貸借が昭和三五年三月三一日限り期間の満了により終了すべき約旨(期限付合意解約の趣旨)であつたという被控訴人の主張は、これを否認する。元来本件建物は、さきに控訴人の妻訴外浅野八重が被控訴人から賃借していたのであるが、本件和解契約により、控訴人と被控訴人とは、従前の賃貸借と全く異なる新な賃貸借契約を締結したものであつて、これを従前の賃貸借の期限付合意解除と目し得ないことはもちろんである。しかして右和解契約に記載された賃貸借の期間に関する定めは単なる例文であつて、本件賃貸借は右期間の満了により終了すべきものではない。仮りにこれが例文でないとしても、本件賃貸借には借家法の適用があるから、同法第一条の二に規定する正当の事由がない限り、右賃貸借は期間の満了によつて終了することなく、当然更新されるものである。(二)仮りにそうでないとしても、被控訴人は本件和解成立後、控訴人から前払家賃四〇万円を受領し、これをもつて肩書住所に建物を建築の上、居住しているのであつて、現在においては本件建物を自ら使用すべき必要がない。これに反し、控訴人としては本件建物以外には生計居住の根拠がなく、もしこれが明渡を強制されるときは生活権を奪われる結果となるのであり、このような事情の下で、被控訴人が控訴人に対し右建物の明渡を求めることは、まさに権利のらん用、信義則違反であり、法律上許されないものというべきである。(三)仮りに以上の主張が採用されないとしても、本件和解条項中、期間満了の際に建物を明け渡す旨の約定部分は、右和解成立当時、被控訴人において居住すべき住宅がなく、本件建物を自ら使用する必要があつたので、このことを前提として定めたものであるところ、その後一一年の歳月の経過により、被控訴人が明渡請求の前提とした本件建物の自己使用の必要性がなくなつたから、被控訴人は事情の変更により、控訴人に対しこれが明渡を請求し得ないものである。」と述べ、

証拠として、控訴代理人は当審における控訴人浅野遙本人尋問の結果を援用し、被控訴代理人は当審における被控訴人岩崎芳夫本人尋問の結果を援用した。

理由

(一)  昭和三四年四月八日控訴人と被控訴人との間において、控訴人主張の訴訟事件につき裁判上の和解が成立した事実、並びに右和解調書には、(1) 被控訴人は控訴人に対し本件建物を昭和二四年四月一日から昭和三五年三月三一日まで賃貸すること、(2) 控訴人は被控訴人に対し、右期間中の賃料を四〇万円とし、内金二五万円を昭和二四年四月末日限り、残金一五万円を同年九月末日限りそれぞれ支払うこと、(3) 期間満了の際は、控訴人は被控訴人に対し現状のまま本件建物を無条件で明け渡すこと、とする和解条項が存する事実は、当事者間に争がない。

(二)  控訴人は、「本件和解調書に記載された賃貸期間の定めは単なる例文であつて、本件賃貸借は右期間の満了により終了すべきものではない」と主張するので、先ず右和解成立の経緯につき判断する。前記当事者間に争のない事実と原本の存在および成立につき争のない甲第一号証、原審および当審における被控訴人(被告)岩崎芳夫、控訴人(原告)浅野遥各本人尋問の結果(但し原審および当審における浅野遥の供述中、後記措信しない部分を除く)を総合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち(イ)被控訴人は、さきに控訴人の妻訴外浅野八重に対し本件建物を賃貸していたが、昭和二二年中、東京地方裁判所に対し、浅野八重およびその夫である控訴人、並びに訴外北川竹蔵の三名を相手方として明渡の訴を提起したこと、(ロ)被控訴人が右明渡請求の理由として主張したところは、当時、被控訴人は住宅に困窮しており自ら本件建物を使用する必要があり、かつ浅野八重が右建物につき他に無断で転貸をしたという二点であつたこと、(ハ)その後、右訴訟において裁判所から和解の勧告があつたので、被控訴人は期間満了の際必ず明け渡して貰う約定で三年間だけ賃貸する旨提案したが、控訴人らはその期間を七年にされたい旨要望した。かくて交渉を重ねるうち、被控訴人は、もし控訴人が前払家賃として被控訴人の居住すべき家屋の建築資金を出してくれるならば、賃貸期間を七年にしてもよいとの態度を示したところ、控訴人から右前払家賃を支払う故、賃貸期間を一〇年にされたい旨申出があり、裁判官の勧告もあつた結果、本件当事者間において、今後一〇年間分の家賃を四〇万円と見積り被控訴人はその前払を受けることとし、かつ右前払家賃の金利分として賃貸期間一年を付加し結局賃貸期間を一一年とし、期間満了の際控訴人は無条件で明け渡すということで妥協ができ、ここに本件和解が成立するに至つたものであること、以上の事実が認められ、原審および当審における控訴人(原告)浅野遥本人の供述中、右認定に牴触する部分は措信し難い。しかして右の如き本件和解成立の経緯によれば、前記和解調書に記載された賃貸借の期間に関する定めは単なる例文でないことが明白であるから、これを例文であるという控訴人の主張は採ることを得ない。

(三)  次に控訴人は、「本件賃貸借については借家法の適用があるから、たとえ期間が満了しても、同法第一条の二に定める正当の事由がない限り、賃貸借は終了することなく当然更新されるものであり、期間満了の際直ちに明け渡す旨の特約は、同法第六条により無効である」旨主張する。

しかし、前記(二)で認定した本件和解成立の経緯に関する事実と原審および当審における被控訴人(被告)岩崎芳夫本人尋問の結果によれば、本件和解において賃貸期間満了の際控訴人が直ちに明渡をすべき旨を定めたのは、被控訴人およびその妻である浅野八重に対し、右期間中建物の明渡を猶予する趣旨に出たものであり、もし賃貸期間満了後も控訴人らにおいて直ちに明け渡すことを要しない約旨であつたとすれば、被控訴人は到底本件和解に応ずる意思がなかつたものであることが認められるのであり、原審および当審における控訴人(原告)浅野遥本人の供述中右認定に牴触する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。(尤も、本件建物の賃借人は従前は控訴人の妻浅野八重であつたのに対し、本件和解の結果控訴人が賃借人となつたのであるから、形式上、本件和解により新な賃貸借が成立したものと解すべきことは当然であるが、このことは前段認定の資に供した各資料と対照すれば、なんら右認定の妨げとなすに足りない)。ところで右の如く裁判上の和解において、建物の居住者が建物の所有者から明渡の猶予を受ける趣旨で、賃貸期間満了の際賃借人が直ちに明け渡す旨を約することはむしろ自然の状態であり、かかる約定は、借家法が借家人を保護しようとする精神から考えてもこれを禁ずべき合理的理由は存しないから、他に別段の事由の認められない本件においては、これを賃借人に不利な特約であるとは解し難く、右約定は借家法第六条の適用を見る場合に該当しないものと解するのが相当である。(最高裁判所昭和二八年五月七日言渡、民集七巻五一〇頁の判決の精神参照)。それ故、右約定を無効であるとし、本件賃貸借は期間満了後、当然更新されたものであるという控訴人の前記主張は、すでにこの点において排斥を免れないものというべきである。

しかのみならず、今、仮りに控訴人主張の前記約定をもつて賃借人に不利な特約であると解するのが相当であると仮定しても、その場合は、本件賃貸借が期間満了により終了するためには、当事者の約旨にかかわらず借家法第一条の二および第二条による有効な更新拒絶が必要であるという結論に帰着するだけのことであり、いやしくも有効な更新拒絶により賃貸借が終了した以上、控訴人が右和解調書に記載された明渡義務の履行を免れ得ないことは当然の筋合であるといわなければならない。ところで、被控訴人が昭和三四年六月一日控訴人に対し、期間満了の際は立ち退くよう、もし、立ち退かないときは本件和解調書によつて強制執行をする旨を通告したことは当事者間に争がないところであり、右通告は借家法第二条第一項所定の更新拒絶の通知に該当するものというべきである。よつて右更新拒絶につき借家法第一条の二にいう正当の事由があるかどうかにつき按ずるに、原審および当審における被控訴人(被告)岩崎芳夫本人尋問の結果によれば、被控訴人は、さきに控訴人らに対し本件建物明渡の訴を提起した当時は、親戚の家の二階に同居し住宅に困窮していたところ、その後本件和解に基き控訴人から支払を受けた前記四〇万円の前払家賃をもつて肩書住所に家屋一戸(建坪は物置を含め一四坪)を建築し、家族四名と共にここに居住し、当初の住宅困窮の状態は一応解消するに至つた事実が認められるけれども、他方、右本人尋問の結果と前記(二)で認定した事実によれば、(イ)元来、控訴人は前記前払家賃を被控訴人が住宅建築の資金に充てることを目的として特にその前払を約したものであり、したがつて控訴人としては、被控訴人の住宅難がこれにより解決するに至るべきことを十分予想し得る状況にありながら、異議なく本件和解に応じ、期間満了の際は無条件で明け渡す旨を約したものであること、(ロ)被控訴人は地方公務員であるが、薬剤師の免状を有しており、かねてから本件建物において薬局を経営したいと希望し、控訴人らに対する前記明渡請求の訴においても、明渡を求める一理由としてこのことを主張していたのであるが、その後も引き続き今日に至るまで、将来控訴人から本件建物の明渡を受けたのちは、同所で薬局を経営する意思であり、被控訴人には本件建物を自ら使用する必要があること、をそれぞれ認めるに足り、原審および当審における控訴人(原告)浅野遥本人の供述中、右認定に抵触する部分は措信し難い。しかして、右事実と前記(二)で認定した本件和解成立の経緯に関する事実を彼此参酌して考案すれば、被控訴人のなした前記更新拒絶については、借家法第一条の二にいう正当の事由があり、その結果、本件賃貸借は期間の満了により終了したものと解するのが相当である。したがつて本件賃貸借が期間の満了により終了することなく、当然更新されたものであるという控訴人の前記主張は、右の如き見地からするも、到底採用できないものである。

(四)  次に権利らん用、信義則違反および事情変更に関する控訴人の主張について判断する。被控訴人の住宅困窮の状態が一応解消したことは前説示のとおりであるが、しかし前記(二)で認定した本件和解成立の経緯竝びに(三)の(イ)および(ロ)で認定した事実と本件和解契約の内容を対照するときは、被控訴人が右和解に基き控訴人に対し本件建物の明渡を求めるのは、法律上当然の権利の行使というべきであつて、本件にあらわれた一切の資料によるも、なんらこれをもつて権利のらん用、信義則違反と認めることはできない。また本件事実関係によれば、本件和解は、被控訴人が右和解成立後も依然住宅困窮の状態にあることを前提として締結したものといい得ないことはもちろんであり、本件和解成立後、当事者の予想し得なかつた事情の変更があつたような事実は、本件においてなんら認められない。それ故、控訴人の右各主張は採用できない。

(五)  以上の次第であるから、本件和解調書中、期間満了に基く建物明渡の部分につき、これが執行力の排除を求める控訴人の本訴請求異議は理由がなく、これを棄却した原判決は結局相当である。よつて本件控訴を棄却すべきものとし、控訴費用につき民事訴訟法第八九条、第九五条を、強制執行停止決定の取消および仮執行の宣言につき同法第五四八条第一、二項を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 牛山要 田中盈 土井王明)

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